ニューヨーク一人旅。英語力0から初めての旅。女性でも?

NewYork NewYork

まったく英語ができない状態から、好奇心で飛び出した20代半ば。
それも女性一人で海外初めての旅立ち。

どんな波乱が起きて、どんな嬉しいことがあって、結果人生がどう変化したかをブログ風にまとめたい。

ニューヨーク自由の女神

(旅としたが、5ヶ月ほど滞在している。気分が旅気分なので。)

英語の実力0

学生時代、どちらかというと理系よりで、そう語学が強くなく、英語も例外ではなかった。

そもそも英語の発音が苦手で、中・高生の時は、先生に当てられないように小さくうずくまって、早く授業が終わることだけを祈っていたような少女だった。

ニューヨーク一人旅女

学生終了と同時に、英語をまるごと、タイムカプセルに入れて、もうこの世では2度と見ることはないだろうというお別れだった。

何かを変えて、自分を磨きたい

26歳、いろんなことが積み重なり、
このままでは自分の人生が終わるような埋もれてしまう危機感が募ってきた。

ちょうど秋口にかかる頃、時期的にも涼しくて寒くなる時期。

う~ん、何か思い切ったことをしよう。これをやり終えるまでには死んではいけないようなこと。

反対に言うと、もしここで死ぬとしたら、何が悔しいだろう。

相当冒険をするようなことでなければ、その時期の落ち込みからは抜け出せないくらい、絶望していた時期でもあった。

少し自分の過去を振り返ると、九州の山奥で育ち、一度は都会で生活をしたくて上京してきた時も、ある意味冒険だった。

今、簡単そうに思えるかもしれないけど、県内を出たことがなく、ましてや、まず両親の許可がおりない。

上京する資金を貯めて、会社訪問し、就職先を決める。さらに3年だけという約束を取り付け、なんとか上京の運びになった。

その時は、どこにも旅もしたこともなく、新幹線の乗り方さえわからずに飛び出した。

ただ、国内は、日本語が通じる。
しゃべればなんとかなる。

この冒険をうわまわる冒険といえば、
海外になるのか。。。と考えが進んでくる。

せっかく日本の中心地、東京に来たのなら、次はアメリカ。そして、めざす地域は、一番元気そうなニューヨーク

こうやって、まずは行こう!と思った。


ニューヨーク一人旅英語

何か自分に司令をださなければ、そのまま崩れ落ちそうなそんな思いつめた時期の決断。

よし、私は半年後にニューヨークに行く!

と、決めたまではカッコ良かったが、

「ところで、ニューヨークってどこ?」
ってニューヨークを探すのにGoogle先生もいない時代。

地図を広げて見つけるのに数時間もかかり、しまいには、えっ、こんな島(マンハッタン島)で、こんなちっちゃいとこなの?と。私、社会科も苦手でした。

私達が日本でニューヨークと言っているところは、
ニューヨーク州ニューヨーク(N.Y.N.Y.←だからN.Y.と2回繰返す)
場所はマンハッタン島である。

 

飛行機に飛び乗るまで

さて、今度は、英語力0の前に資金力0の状態
それから、朝晩起きている間は、すべてバイトに費やした。
毎日、結構フラフラになって、ベットに潜り込み、その夢だけが希望の半年となった。

まあ、行くと決めたら英語の勉強を少しはするだろうと高をくくっていたら、毎日疲れすぎて、本のページさえめくれない。

昔の方はご存知か、小林克也さんのアメリ缶という英語12本くらいのカセットテープを購入したが、1本目位しかまともに聴いていない。
※アメリ缶・・・カンを缶にかけて、ホントに丸い缶に入っていた。

今だったら、勉強する時間がなかったという言い訳ではなく、なぜこの教材がまずかったかを説明できる。こんな聴くだけの教材は、多くの人が挫折するだろう。長くなるのでここは略。

ニューヨーク 女性一人旅

もう一度、詳しく目標を書くと、

半年間アメリカに住んで、アメリカで生活をしてみる。英語がぜんぜんしゃべれないので、その間、語学学校に通って、英語を勉強する
(今、控えめに書いたんだけど、たぶん英語をマスターしてやる位、思っていたと思う。分かる人笑ってやって。)

半年間で働いたお金と借りたお金でなんとか200万ほど集めた。
これは、まるまる使ったわけではなく、半年間、東京のアパート代や光熱費等を前もって預けておく金額も含まれている。

あっという間に半年が過ぎ、その日が来た。

飛び立った飛行機、後には戻れず

幸か不幸か、バイトで忙しかったため、自分の英語力のなさをすっかり忘れていた。

離陸後、機内が安定して、ふっと我に返り、窓の外から雲を眺める。

(とうとう、この日がやってきたんだ~!)

感慨無量。バイトで疲れた体もこれで癒される…。

(う~ん、窓。あらっ、窓って英語でWind…)

ニューヨーク飛行機の窓

怖ろしいことに、窓の綴りさえでてこない。(時代は、PCウインドウズ発売前)
かの地に着く前に、もうこのあり様。

まぁ。。。まぁ。。。なんとかなるよ。と頼りない励ましをして、まずは体力確保とねてごまかすのであった。

はじめはニュージャージー州

ニュージャージー州は、ニューヨーク州と隣接し、マンハッタンへも1時間位でいけるところを選んではじめの1ヶ月程住んだ。

当時、ニューヨークは今よりかなり治安が悪かった。

正直な話、流れ玉に当たったら、もうホントにアウトって覚悟してた。
そりゃ、今でもそうだけど、当時のほうがヤバイ気配があちこちに漂っていた気がする。

そう考える人が多くて初めての時は、ニュージャージー州から入って、様子見をする人が多かった。

私もご多分に漏れず、1ヶ月はニュージャージー州で過ごし、週末ごとにニューヨークに出て、感覚をつかんでいった。

ニュージャージー州

(友人の一人はこんなところにホームステイしてた)

ニュージャージー州に長く住む友人が、ニューヨークでは、スニーカーの紐をしゃがんで結び直すのが怖いという。

なぜなら、下に顔を向けた時に何をされるかわからないからと。

そこまで注意しなければ、危ない街なんだと気を引き締めた。

(※数年後、妊娠した彼女は、公衆電話内で破水して倒れた。近くの人がすぐ救急車を呼んでくれて事なきを得た。まあ、すべてが怖いわけではないよね。)

まあ、今でもその頃の習慣が染み付いているので、きっとまた訪れた時にはそうする↓と思う。

  • 地下鉄の前後3両には乗らない。
    (お昼なのに降りたら駅内が真っ黒のところがあって、多くの人がいるけど誰も騒がず、それが普通のことのように対応していてビックリ)
  • 道路は大きい道路を歩き、車よりの歩道を歩く。
  • 夕方以降は、セントラルパークに入らず、日中も奥まで入り込まない。

一日目に天国と地獄をみる

生まれて初めてニューヨークに行った日を忘れはしない。

後にも先にも、こんなにもアメリカらしい体験をするのは珍しいからだ。
初日というのに。

アメリカについて2週間ほどの頃。英語は引き続きまるでダメ。

それだけでもドキドキだというのに、
治安の悪いマンハッタンだ。ダブルで緊張する。

しかし、公園あたりは、人々のくつろぐ姿やジョギング姿もあり、ちょっと緊張も解ける。

ある手続きが終わった後だったので、
公園のベンチにちょっと座って休憩していた。

財布

すると数m先に、何やら財布のようなものが落ちている。

拾ってみると、な、なんと
100ドル札が80.90枚ほど入ったお財布。

どうしようかとおろおろしながら、近くに人に尋ねてみる。
「これ、落としませんでした?」
とまで、すっと英語が出てこず、
「Is this yours?」
「No.」

また次の人にも。
マラソンしてる人にも。

ちょうど2人ほど集まったので、
これどうしましょう?みたいな話になって、近くのカフェに寄った。

朝から、初めてのニューヨークで
そういえば、トイレにも行っていない…

座席に座って、注文後、ちょっと間を開けた。

これが悪かったのだろうけど、おそらく英語がわからず,いずれにせよ、どうしようもない。

一人の女性が切り出す。
「私は金融関係に務めているので、お金の管理はしっかりしてる。だから、一旦私が預かるから、信用してね」と。

まだアメリカを知らない。英語もわからない。警察に預けたところで、日本のようにちゃんと機能しているのか…もわからない。

私は、この金融関係に勤務するという女性を、素直に信じて預けた。

ニュージャージー州に戻り、
英語のできる日本人男性に、こういうわけで、私は英語がぜんぜんわからないので、今後どうするのかを訪ねて欲しいと電話してもらった。

今だったら、スマホでラインでも電話でも、カフェでその場で代わってもらって話せただろう…

ニューヨーク公園ベンチ

彼からの答えは、
「電話誰も出ないよ。嘘ジャン…」

「えっ!」

はい、一夜にしてその出来事終了。

あのまま、私が預かっていたら…
としばらくは思う日でした。

ニューヨークの生活が慣れてきた3.4ヶ月目だったら、もっと落ち着いた対応ができたのにねぇ。笑。

 

かなりビビった経験

地下鉄で怪しい男

地下鉄に乗ろうと階段を降りてきた時だった。

10人ほどの黒ずくめの男性が猛烈な勢いで走ってきた。

さっと、一人の男を丸く囲み、

囲んだ全員の警官が拳銃を男に突きつけた。

ポリスマン

目の前、5mもない。

とっさのことに、身震いしたが、
囲まれた男性は、暴れることなく断念してそのまま連れ去られた。

映画さながらの現場が目の前で起こるのは、衝撃すぎる!

 

星の王子さま さながら

ある日、将来カメラマン志望のアキラという友達と映画を観に行くことになった。

アキラは、誰が見ても、のほほ~んとしている。ものを食べれば、食いちらかして、そんな人は、マンガ上のウケ狙いと思っていたら、実在して私を驚かせた人だ。

そんなアキラのやることは、ほんと危なっかしい。

映画館で入場料を払うときに、お金がすぐに出てこなかったアキラは、
あろうことか、リュックを逆さまにしてポンポンと叩いた。

そりゃ、出ますって。リュックの持ち金全部。

コインがあたりに舞い散り、お札もパラパラ。

一度に人がどっと集まり、私とアキラがお金を拾う間もなく、持ち去られた。

ちょっと高めの50ドル札を抜き取った男をすぐに捕らえ、
「Give me back!」と言ってはみるものの
こんなところで落とすお前らが悪い‥みたいな目線で逆ニラまれ。

はい、確かに! 私も否定できません。

その男性は、黒人で体も大きかったので、反対に言いがかりをつけるなと殴られたら怖いと思い、それ以上は何も言えなかった。

「アキラ 取り戻せなかった。ごめん」
アキラは、相変わらず、動揺してる様子もなく、「大丈夫だよ」と。

ここはダウンタウンの、東京で言えば、歌舞伎町のようにちょっと不安なところ。

そして、私達が見た映画は、まさにエディー・マーフィーが4役も演じる映画「星の王子さまニューヨークへ行く」


この映画の冒頭をご存知だろうか?

ニューヨークについたばかりの王子役エディが荷物を路地においたら、次から次へと物盗りに持っていかれるシーンだ。

私たちは、同じようなことをやってしまった~。

なんか映画を観ながら、映画の中にいるような、これは夢か現実か・・・のような、映画がまさにその場とぴったりマッチしすぎて、不思議な感覚を味わった。

※風のうわさにアキラは、パリとアメリカを行ききする有名なカメラマンになっているらしい。アキラは無口だけどスゴく暖かい人だった。

 

ちなみに映画で見る騎馬察官はよく見かける。
それはそれはカッコいい~。

 

ニューヨーク一人旅の英語

ハンバーガーを注文

一ヶ月のニュージャージー州滞在はあったものの、英語喋れない状態はそう簡単に変わるものでもなく、同じく英語力0でニューヨークに行ったようなものだ。

はじめの内は、レストランどころかファーストフード店にも入れなかった。
「だってメニュー指差しゃいいんでしょ?!」と軽く友達に聞くと、
「イヤ、メニューーが手元にあればいいけど。レジの後ろの上の方にあったりするよ。」
「え、そ、それはヤバイ」と有名なバーガーの発音をレッスンしてもらった。
Wapper(ワッパー)このaは、aeの発音記号をもつ、あのややこしいやつだ。

Wapper注文

バーガーを注文できて、ホッとしたのも束の間、
「普通に食べていきますか?お持ち帰りですか?」
と言われているのが、ぜんぜんわからない。

しばらく、キョトンとしていたら、あちらも何でかたまっているかわからずキョトンとしてしまう。

そんな調子を繰り返しながら、少しずつ生活に溶け込んでいくのでした。

スーパーで

学生時代比較的英語はできたというA君。
スーパーで、会計後に
「Paper or plastic?」 と言われ、しばし固まる。

これ、買い物を紙袋とビニール(Plastic)袋のどちらかにいれるかを聞かれたもの。こんなの、英会話の本にもなかなか載っていないよね。

PaperPlastic

ちょこちょこしたよく使われる生活言葉は、現場で覚えていくしかない。

また、こんな「何?」「何ていうの?」を繰り返しながら、自然と覚えていくので、今英語力がなくても思ってるほど心配しなくて良いと思う。

英語力0でニューヨーク入りしている人は、意外といる。
少なくとも、その時同級生日本人友達20人ほどは、そうだった。笑。

衣・食・住、特に食に関しては死活問題なので、英語話せるとか話せないとか言ってる場合ではなく、とりあえず買って食べないことには飢えてしまうので、かなり真剣。

この真剣さで英語を学べば、まず食べていくことはすぐできるようになるよ。

最悪、出店のホットドック、指差してトッピングしてもらい、1ドル。

また、デリショップのおかずもご飯も好きなだけ1パックに詰めて量り売りというのは、助かってたなぁ。

 

ニューヨーク一人旅の男性

こんな住み方もあるんだと勉強になったので書いておくね。

はじめは、一人旅でふらっと訪れたM君。ニューヨークが気に入って、住み始めたらしい。ビザ関係まではどうしているか聞きそびれたけど、美容師という職業を活かして、友達に頼まれるとカットするという。

ニューヨークの男性
ヘアーカットなんて、微妙なことを英語で頼むのも注文が大変そう。

日本人で口コミになって、お客さんがつき、そのバイトで生活が成り立っているという。

彼を知る前、滞在中、ヘアーカットモデル募集の看板を見て面白いのでトライしてみた。英語がおぼつかなく、どう頼んでいいかも分からず、お任せした。

出来上がりは、ショートボブというか、オカッパ頭というか、ちびまる子ちゃん風に仕上がった。爆。彼女の日本人のイメージは、こんな感じらしい。

 

一人旅の女姓は危険?

どこの国に限らず、危険なのはその国の情勢でもなく、英語ができないことでもなく、一人旅女性にとっては、ずばり「男性」だと思う。

日本人彼女のいたS君は、彼女が歩いていると、よく男性目線が向けられているのに気づくという。ちなみに彼女は、特に目立った美人というほどでもなく、わりと普通だけどとも。

エキゾチック

向こうに入れば、黒い髪東洋人はエキゾチックに見えて魅力的らしい。

良い意味でも悪い意味でも、気をつけよう。

(追記)

一人旅を安全にするために気をつける2つのこと

危険を防ぐために

女性男性関わらず、あまり旅行者に見られないようにすること!
これ結構ポイントで、治安が良くなってきているとはいえ、ひったくりやナンパに合わないようにするためには、まず心がけてね。

いくつかのやり方としては、こんな手はどうでしょう。

  • 持ち物は、ウエストポーチや肩に斜めがけするような、小さなものやすぐにもっていかれないもの。
  • 服装は、Tシャツ+ジーンズ風のシンプルなもの。
  • 事前に行く場所は、よく復習しておく。
  • 地図(場所)を確認する時は、ガイドブック等ではなく、スマホ等に切換てみる。
  • 路地で地図のスマホチェックする時は、少し隅で、メールチェックしてる風にする。(場所を尋ねるなという意味ではないので臨機応変に)

私は、1ヶ月目でもデパート風のところで、「○○を売っているところはどこですか?」とか、ディスコ風のところで、「トイレはどこですか?」って聞かれて、(え、私に聞くの? それ私が聞きたいよ。)って思うくらいだった。完全に住人を飛び越えて、働いている人と思われてなぁってクスッとする。このくらい、溶け込む気持ちで。

所持金は

観光の場合は、そうもいかないだろうけど、長めに滞在する時は、小銭にしてざっくり20ドル以下位が無難だと思う。それは、すぐ取り出せるジーンズのポケットあたりに入れておく。特にコインはジーンズの右ポケットの小さいとこ。

この時ほど、いつもは気にもしない小ポケットが役に立つことはない。このために作ってあったのかと思うほど便利だった。

(ちなみに1ドル紙幣4.5枚、10ドル紙幣1枚、残りはコインのように細かく)

それから、胸ポケットあたりにいつも50ドル札。これは万が一の”金を出せ”対策。なぜなら、先輩いわく「これが、2~300ドル以上と高めになると、口封じのために殺される可能性もある。50ドルだったら、相手ももらった気持ちくらいなのでそこまでプレッシャーにならないから。」

当時は、トラベラーズチェック(今はクレジットカード)を、シャツの内側のお腹ポシェットにしまい、まとまった買物をするときに、トイレにいって表に出してくるような一手間をかけていた。イエ、今も海外ではいつもこのスタイルをとっている。ご参考まで。

ニューヨークの物価は安い?

私が行った時は、120円台の円安だったが、ドル計算でもちょっと安めに感じた。80円台の円高の時だとまたぐっと感じ方が違ってくると思う。

ただ、アメリカ人は量が多くて安いものが好きなので、生活用品は全体に安いと感じると思う。

慣れるまではその量についていけないのだが、そのうち慣れてくる自分が怖ろしい。(帰国時に5.6kgも太っていた-_-;)

お部屋は2.3人でシェアしてる人も多いし(学生)、お部屋が広いので日本のアパートほどの狭さは感じない。

1room

ざっくりがだ、全体的に東京のような都心に住む感覚で大丈夫ではないだろうか。

ただ、映画やミュージカルの半額チケットが安いので、安いからと毎日何かをしてしまうと結果、高くなってしまった。

小切手初体験

まだクレジットカードがここまで発達している時ではなかった。2.3ヶ月以上いると、大金を持っているわけにも行かず、すべてをトラベラーズチェックでもつのも不安。

到着して、みんなが銀行口座をつくりだした。

入金後渡されたのは、貯金通帳じゃなくて、小切手。

これ、あの映画とかで見るサインする手帳のようなものだ。

小切手

開けてみてビックリ。どこにも金額が書いてない。
(↑小切手の意味を知らない。笑)

嬉しかったのは束の間で、お金を降ろす時になったら、自分のサインだけでなく、

$1250
One thousand two hundred fifty dollars

と、書かねばならない。
日本語だったら、25,000円 二萬五千円也と書くようなものだろうけど、数字をフルで書くのは面倒だし大変。

何より、残高を確認するところがわからなくて、ホントに預けたお金が入っているのか、残額がいくらなのかがわからなくて不安続きだった。

帰国しても珍しくて、小切手はしばらく保管していたのだが、さすがに今は見あたらない。

 

その後

ニューヨークは、アメリカに半年住むという夢があったので、5ヶ月は滞在した。

その間、語学学校に通ったが、学校では文法を英語で教えられるだけなのであまり意味がない。

ただ、その間、なんとか少しでも英語を話せるようになりたいとは努めてきた。

その結果になるかは分からないが、
帰国後、幼児英会話の講師を数年務めた。

推測でしかないが、TOEIC 200-300点から600点位になったのではないだろうか。

また、数年後から一人旅をはじめ、訪れた国は43国になった。

中学・高校の勉強だけでは、英会話にまったく力を入れていないので、しゃべれるようにはならない。

はじめはみんな学校だけの授業では、英語力0だと思う。でも、怖がらずに一歩ずつ前に進めば、想像もつかない世界が待ってるよ。

想い出の山

もし、あの時、英語がしゃべれないからといって、海外に飛び出さなかったら、海外で体験した、言葉で言い尽くせない想い出ザックザクの宝の山を手にすることはできなかっただろう。

それが自分の人生になかったとしたら、悲しすぎて想像ができない。

それでは、

GOOD LUCK!

 

ニューヨーク自由の女神フェリーまたやらかしてしまったハプニングについてはこちらをどうぞ。

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